エ リ ザ ベ ス 女 王 : 生 い 立 ち
エリザベス女王の実名:エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウインザーと命名されています。生年月日:1926年4月21日生まれ(和暦:大正15年生まれ)
家族構成
父親:ヨーク公アルバート、 母親 :エリザベス・アンジェラ・マーガレット・ボーズ、 妹:マーガレット王女、 長男:チャールズ皇太子、 長女:アン王女、 次男:アンドリュー王子、 三男:エドワード王子。
王位継承順位の変化
父親のヨーク公は、当時の国王:ジョージ5世(祖父)の次男であり、次期国王は、叔父のエドワードに決まっていました。エリザベス女王の王位継承順位は、叔父、父、に次いで第三位で、エリザベスが君主になることを誰も想像しませんでした。
1936年ジョージ5世が崩御すると、叔父:エドワード8世が即位しますが、エドワード8世は、離婚経験者で、アメリカ人のウオリス・シンプソンとの結婚を望み、同年12月に退位します。(王冠を賭けた恋)
そして1936年12月、エドワード8世の弟で、エリザベスの父親:ヨーク公アルバートが、ジョージ6世として即位しました。これによりエリザベスは、9歳で王位継承権者・第1位になりました。
エリザベス女王と戦争(第二次世界大戦)
1939年9月、父が、国王になって3年後、イギリスが、フランスと共にドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦が、勃発します。
1940年に14歳のエリザベスがBBCラジオ放送で子供たちに一緒に助け合うことを呼びかけました。第二次世界大戦中に父親の国王と共に各地へ訪問激励を重ね、1945年2月に英国女子国防隊に入隊しました。
「女性王族は従軍しない」という慣例を破り、自ら軍事訓練を受け、大型自動車免許を取得して、軍用救急車の運転までやっています。
第二次世界大戦後、英連邦に向けたラジオ演説の中で21歳のエリザベス王女は、次のような宣言をしました。
「わたしは、宣言します。私の人生が、長かろうが短かろうが、貴方と我々のすべての偉大な国家に、この身を捧げることを!」
エ リ ザ ベ ス 女 王 の 結 婚 に 至 る ま で の 障 害 の 乗 り 越 え、別 れ
生涯の伴侶となるフィリップ殿下とのなれそめは、1939年7月エリザベスが13歳の頃、父王と共にダートマス海軍兵学校を訪問した際、18歳のフィリップに一目惚れしたと言われています。
第二次世界大戦で気軽に会えないエリザベスとフィリップは、手紙でお互いの気持ちを確かめ合って、愛を育んでいたと言われます。
フィリップ自身は、(1)ギリシャからの亡命者で純粋な英国人でない (2)姉がナチスと関連あるドイツ人の貴族と結婚していた (3)信仰する宗教が「ギリシャ正教」である 等エリザベスとの結婚条件には、合わない生い立ちだった。
フィリップから (1)イギリス人への帰化 (2)「ギリシャ正教」から「イングランド国教会」への改宗 (3)ギリシャ王子orデンマークの王子の地位を放棄する イギリス人の及びイギリス王室の結婚条件に合う立場になるように行動しました。
1947年11月20日、ウエストミンスター寺院で晴れて二人の結婚式が行われました。
エリザベス女王は、フィリップ殿下が亡くなる2021年4月9日まで73年間という結婚生活を共に過ごしました。
エ リ ザ ベ ス 2 世 の 載 冠 式
1952年2月6日、父親のジョージ6世が就寝中に冠状動脈血栓症により突然崩御します。エリザベス女王とフィリップ殿下は、外遊先のケニアでこの訃報を聞きました。
25歳の「エリザベス2世女王」(Queen Elizabeth II)が誕生することとなりました。翌年1953年6月2日には、ウエストミンスター寺院で載冠式(Coronation)が行われました。
日本からも、昭和天皇の名代として皇太子明仁親王(平成天皇)が参列して、さまざまなエピソードが残っています。
エリザベス女王を自らの君主を同一とする、イギリス英連邦王国(Commonwealth realm)は、2022現在計15ヶ国です。
15ヶ国内訳: UK(グレート・ブリテンor北アイルランド王国) カナダ オーストラリア ニュウージーランド アンテイグア・バーブーダ バハマ ベリーズ グレナダ ジャマイカ パプアニューギニア セントクリストファー・ネイビー セントルシア セントビンセント・グレナディーン ソロモン諸島 ツバル
これら多くの国民もエリザベス2世を君主として慕っているのです。イギリスだけの君主ではないのです。
エ リ ザ ベ ス 女 王 と ダ イ ア ナ 妃 の 人 へ の 接 し 方
婦人画報のサイトに「ダイアナ妃にも影響を受けたエリザベス女王。王族の努めは、”慈悲”と”赦し”」に、参考になる記事が掲載されてましたので、紹介します。
英国経営にはダイアナ妃もお手本の一人に
伯父ウインザー公(エドワード8世)の退位に始まり、曾孫ジョージ王子の誕生に至るまで、エリザベス女王は、社会の変化を受け入れ、赦すことの連続でした。実際にイギリスでは、王室の必要性について賛否が分かれて、王室予算を大幅に削減された。いつ倒産してもおかしくない会社を、常にもり立て、上昇気流にのせてきたのは、他ならないエリザベス女王でした。
「王族」というだけでは生き残れない時代であることを、女王自身が一番よく知っている。
ダイアナ妃は、エイズ患者の慰問に訪れて、患者を直接抱きしめて、慰めた。同行した米元大統領夫人バーバラ・ブッシュは、このダイアナ妃の慈悲深い行為にたいそう感動したと言われている。エリザベス女王もダイアナ妃の大胆さと慈悲の心に学ぶところが大きく、影響を受けたという。
イギリス王室:サファイヤの持つ意味
ダイアナ妃が患者慰問の際に左手の薬指には、サファイアの指輪が身に付けられていました。さて、イギリス王室とサファイアの指輪の関係についてまとめてみましょう。王室の「菩提寺」は、ウエストミンスター寺院ですが、こちらでは、1953年6月2日:エリザベス女王の載冠式、1997年:ダイアナ妃の王室国民葬、2011年4月29日:ウイリアム王子のロイヤルウエディングが行われました。
ウエストミンスター寺院で西側連絡通路の上のステンドグラスをご覧いただきたいです。そこには左手でサファイアの指輪を持つ11世紀のキング:エドワード懺悔王の姿があります。憐み深いキングは、手に持った指輪を乞食に施している。伝説としては、その乞食が実はイエス・キリストの弟子ヨハネであったと言われている。
エドワード懺悔王のサファイヤ物語。その実物は、英国王冠のトップに飾られている。サファイヤは、ラテン語で「青」、「誠実」を意味し、英国の王も王族も、エドワード懺悔王の慈悲の心を忘れないために、好んでサファイヤを身に着けていた。
1997年8月31日、ダイアナ妃が交通事故で事故死された時も、サファイヤの指輪をしていた。王室の一員として果たすべきことは、「弱者に目を向け、寄り添うこと」であると、母親:ダイアナ妃がノブレス・オブリージュの精神を息子に教え込んでいた。彼女の生き方は、誠実で慈悲の気持ちで溢れていたものだった。
人 を 助 け、人 々 に 尽 く し、誠 実 さ を 示 す