安政6年、現在の横浜市では、港が開港して、開港とともに上陸した西洋人の仲介役として、漢字を理解できる広東省出身の中国人が活躍する。
その西洋人の居留地の近くの横浜新田に、仲介役の中国人:華僑の居留地が作られて、後に中華街に発展しました。
横浜中華街はエリアの地理では、500m四方の地域に10基の門があり、特に東西南北の4基が重要で、その守護神は、東:朝陽門=青竜神、南:朱雀門=朱雀神、西:延平門=白虎神、北:玄武門=玄武神となっています。
中華街が、45度傾いて碁盤の目のようになっているのは、チャイナタウンが誕生する以前に横浜新田の田んぼが広がり、そのままあぜ道を道としたからです。ですから、現在のお店が立つ場所は、幕末まで田んぼだったのです。
現在、600以上(飲食店:230店、小売店:200店他)の店舗が営業していますが、特に飲食店の中華料理は、“広東は、華僑の故郷である。”と言われる程、広東料理店が多いですが、他には元祖が、上海、北京、四川、湖南と様々な中国の地域料理店があります。
中華街の朝陽門近くに「中華街インフォメーションセンターChina town 80」があり、中華街のパンフレットが入手できますし、道に迷ったり、来店したい店が見つけにくい場合などの相談に関して、ボランティアの〔外回りコンシェルジュ〕が全域を巡回してますので、遠慮なく相談できます。
日本では、横浜の中華街、神戸の南京町、長崎の新地中華街と日本三大中華街と呼ばれています。また、世界各地にも中華街があります。
華僑とは、上海、香港、広東などの西洋人の商館で働いていた中国人。自国以外の外国語に詳しく、英語or欧米語が理解できて、日本人とは、漢字による意思の疎通ができたのです。
華僑の仕事は、通訳者以外に、日本各地で採れたアワビ、昆布などの海産物を中華料理の材料として輸出したり、砂糖を台湾から輸入したりと貿易商の仕事もしていました。
明治時代の初め頃は、横浜の華僑の人口が1,000人を数えていました。華僑が集まると、必然的にチャイナタウンが形成されるのです。チャイナタウンは、西洋文化の発信地となったため、家具やピアノ、洋裁なども中華街が発祥となって広まったのです。
横浜中華街について、色々と説明させていただきましたが、如何でしょうか?お役に立てれば、幸いです。