中森明菜・伝説のコンサート:記念ライブの模様


中 森 明 菜 プ ロ フ ィ ー ル

名前:中森明菜、生年月日:1965年7月13日、出身地:東京都、 1981年オーディション番組「スター誕生!」で研音からスカウトされて、翌年「スローモーション」で歌手デビューする。

NHK紅白歌合戦に8回出場。日本レコード大賞を2年連続で受賞する。

歌手デビューを夢見る若者が、こぞって応募するオーディション番組「スター誕生‼」。中森明菜も、例外なく3度に渡り挑戦しています。

歌手という職業について、当時の若者が望んだこととは、何か?歌手の仕事のやりがいとは、何か?歌手をする人は、歌うこと自体に喜びを感じることが最低条件になります。自分が歌う曲で視聴者を癒したり、勇気付けたりできれば、歌手としてこの上ない喜びとなります。

彼女(中森明菜)は、どのような抱負を抱いて、歌手という仕事に取り組むことになったのでしょうか?私たち視聴者は、当時の歌手の人達にどのような歌に興味を持っていたのでしょうか?

 

8 0 年 代 の 人 気 歌 手:松 田 聖 子 と 比 較 さ れ て

松田聖子:歌手としてのスタート

(1)松田聖子の歌唱力は、作詞作曲家の先生が彼女の歌声を聴いて、「いくらでも声が出るんで驚きました。マイク要らないよ。」と。

(2)レコード会社の担当者から、「多忙な仕事のスケジュールで、曲のレッスンの時間がなく、彼女は、2,3回曲を聴だけで曲調を覚えて、歌えるようになった。」と。

(3)松田聖子は、高校生時代、郷ひろみのファンで地元福岡でコンサートがある度に、観に行き、歌手が憧れの職業となった。

(4)テイチク新人歌手オーディション、ホリプロ・スカウトキャラバン、ミス・セブンティーンコンテストなどに応募して、何度も不合格しても、諦めなかったこと自体、熱意が伝わります。

中森明菜:歌手としてのスタート

(1)中森明菜は、音楽への関心事として、幼少期に、邦楽:矢沢永吉、松任谷由実、洋楽:カーペンターズを聴いていた。

また、音楽のルーツとして、姉や兄たちがデイスコ・ミュージックやソウル・ミュージックを聴いていた影響があり、最も影響を受けたアーティスト:ドナ・サマーの楽曲だけでなく、人生観までのめり込んだと言われています。

(2)テレビの歌番組の司会者の方が、中森明菜自らが、ヘアスタイルから服装に至るまでプロデュース、コーディネートをしているのを知り、彼女のことを絶賛した。また、出演する時の衣装について、セットや照明と調和するように事前に綿密に打ち合わせする入れ込みようだった。

(3)中森明菜に歌われていた歌:1982年、シングル曲「スローモーション」でデビュー。代表曲は、「少女A」や「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」や「難破船」他多数あります。

「ミ・アモーレ」と「Desire(デザイア)」で2年連続(1985、86年)のレコード大賞受賞を果たしている。

中 森 明 菜 : あ る 楽 曲 誕 生 の 経 緯

80年代の芸能界は、純真無垢で清楚なアイドルが、飽和状態だったので、中森は、16才でありながら「憂いのある不良少女」として売り出された。

大人びた眼差しや高い歌唱力がそれを叶えて、それ以降も楽曲を次々と歌いこなした。

『少女A』は、【反社会】をコンセプトにした楽曲は、19才以下の若い人が事件を起こした時のニュースの報道に関して、加害者の実名を呼べない法律があり、報道では「少女A」「少年B」などと呼んでいた。

そんな匿名性をモチーフにした楽曲のため、このタイトルになった。この曲は、当時のスターの一人:沢田研二のために作られた楽曲だった。

ま と め : 多 く の 視 聴 者 に 評 価 さ れ る 歌 手 と は

彼女(中森明菜)のプロフィール他をリサーチしていまして感じた感想としまして、彼女は、歌という仕事をこなせるように努力を惜しまずしているように思われます。皆さんは、どのように受け止めておられるでしょうか?